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2012 .01 .29

石巻市、「震災復興基本計画」推進に向け「震災復興部」を新設

石巻市 震災復興部新設へ(YOMIURI ONLINE)
総務省から出向・笹野氏 2人目副市長に
石巻市は25日、復興事業の推進を図るため、2月1日付で震災復興部を新設し、空席だった2人目の副市長に総務省から同市に復興担当審議監として出向している笹野健氏(39)を充てることを決めた。27日に開かれる市議会臨時会に関連議案を提出する。
市報いしのまき 復興計画特集号 石巻市震災復興基本計画(案)昨年12月に策定されたという石巻市の「震災復興基本計画」。この計画を推進するための部署として震災復興部が新設されるとのこと。

この部署を率いるのが総務省から出向し、これまでも市の復興担当審議監として施策統括にあたってきた笹野さんという方だそうです。ということは「震災復興基本計画」の策定に大きく関わっていた方ということですかね。
副市長は、亀山紘市長が就任した2009年4月以降、1人体制となっていたが、復興事業の本格化で業務が激増することから、2人体制に戻すことにした。笹野氏は昨年7月、総務省消防庁総務課理事官から石巻市職員となり、復興担当審議監として震災関連施策を統括してきた。
まずお断りしておくと、ぼくは石巻市が12月22日付けで策定した、と公表している「石巻市震災復興基本計画」の全文は未読です。8つのPDFに分割された冗長な文章なので読み切れていません。ただし、お正月に母親が持ってきてくれた「市報いしのまき 復興計画特集号」(平成23年12月13日発行)はすべて目を通しました。この市報には「石巻市震災復興基本計画(案)」が掲載されています(↑はその表紙)。

スキャンしてPDFにしてみました。興味のある方は以下からどうぞ。

» 市報いしのまき 復興計画特集号 石巻市震災復興基本計画(案)(PDF:23MB)

そういうわけで12月13日付け発行の「案」と、12月22日付けの「策定版」との差異は比較できておらず、「案」の内容に基づいて思うところを書き留めます。

お正月の箱根会議(仙石原の温泉宿で母子ふたりで今後のことを話し合いました。ちなみに仙石原にしたのは目につく風景が山ばかり=水がないから)で全文に目を通したわけですが、受けた印象は「復興」ではなく「復旧」プランだな、ということ。

防波堤や盛土道路、避難ビルに鎮魂の森など、作ろうとするモノはいろいろとあるものの、根底にあるのが壊れたモノを直す思想であり「復興」とは思えない。

旧北上川に面した住吉・中央・門脇地区は(長らくシャッター街なのが実情だけど)これまで通りの商業地域と位置付けられている。

三陸道I.Cにほど近い市西部の蛇田地区と市東部の渡波地区に移転用の土地を確保する想定だけど、用地確保のみで公営住宅の建設は行わないとしている。そもそも住居があっても交通や学校、就業環境の整備に言及していない。

市の財源では賄い切れない事情も分かるものの、おカネの面もすごく中途半端。
  • 引越し費用は支援する(最大78万円)
  • 家を買うなら利子は支援する(最大444万円)
  • 土地を買うなら利子は支援する(最大206万円)

つまり市が整備する「災害公営住宅」以外の場所に住みたい場合は、個人の自腹。
「災害公営住宅」を希望するにしても入居できるとも限らない。

意見交換会で交わされたQ&Aに、コトバ(概念)の違いが端的に表れています。
Q:復旧が遅いのではないか。国の予算を待たずに、市が先行して復旧事業を進めた方が良かったのでは。

A:復興事業を目一杯実施した場合、国・県・市の事業を合わせると約2兆円と考えている。事業には莫大な予算がかかるため、復旧が遅れている。とても市単独ではできないので御理解願いたい。
復旧と復興が入り乱れてる。似てるけど全く意味あいが違うものです。

市民からすれば元通りに復元・修繕する「復旧」が一番の願いでしょう。
環境の変化にさらされなくて済むもの。その気持ちはとても分かります。

けど、何年か何十年か、ひょっとしたら今年、また3.11のような地震と津波に見舞われたら・・・
商業的には長く停滞・衰退の一途をたどってきた地方都市ではあるけれど、山と海と川を擁する豊かな自然に恵まれた石巻が、今度こそ跡形もなくなるかも知れない。

だからこそ、街の在り方を変えていく「復興」が必要だと思っています。
そのためには10年、30年、50年と先を見据えた都市計画が必要でしょう。

ベースに置くのは基本的に地形だけ。必要なら道路も鉄道も移設すればいい。
その分、人口増加や雇用創出も含めて投資に見合う効果を出す必要がある。
でもそれは長期的に捉えるべきこと。

3.11で甚大な被害を受けた石巻というパズル。けど欠けたパズルのピースを元に戻しても人が集まり、商いが栄えるとは思えないのですよ(津波には耐えるかも知れないけど)。いま寄せられている多くの支援に支えられながら、自立しなきゃいけない。

復興とは災害に耐える街づくりに限らず、居住地区、就業地区など人やインフラを再配置して、街の在り方を再設計するくらいのことが必要なのだと思います。

計画は決まったのだとしても、適宜見直しなり軌道修正を願いたいところです。
今の世代だけでなく、将来の世代にも受け継いでいける街づくりであって欲しい。

石巻で生まれ育ったひとリとして、そのための意見や行動は惜しまないつもりです。

▼参考リンク
震災復興(石巻市)

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亀山紘市長は「復興特区計画や予算獲得など重要課題を確実にクリアし、スピード感を持って復興を進めたい」と述べた。

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書籍「被災、石巻五十日。: 霞ヶ関官僚による現地レポート」読了。(now and then)
収穫だったのは、知りたいと思っていた石巻の復興計画の素案である「新都市構想」の出所が分かったこと。4月28日に「市建設部で密かに案を練っていたらしいのだが、関係部はもちろん市復興対策室にも十分協議はしていなかったそうだ。」「住民の意見を全く聴取していない今のd難解で、安易に石巻の土地利用を地図に落としたものを示す事は次期尚早と考える。」とあります。やっぱり役所内で誰かが線引きしたものが、最終的な復興計画の基礎になっていて、その基本がほとんど変わらないまま決定してしまったという訳ですね。

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