石巻が有名になってしまった理由
復興報道の影に隠れ、いまだ埋まらぬ「メジャー被災地」と「マイナー被災地」の格差(日刊サイゾー)失礼ながら、サイゾーにしてはすごくいい記事なのでメモ的にエントリー。
東日本大震災から5カ月が経過した被災地では数々のイベントが開催され、注目が集まっている。中でも、"メジャー被災地"としてその名を全国に知られるようになったのが、宮城県石巻市だ。この夏はディズニーパレードなど、地元自治体以外も協力した大きなイベントも企画された。
出身地を聞かれて「宮城県」と答えると、十中八九「仙台?」と聞かれたものでした。もうメンドクサイから「まあその辺り」と答えてましたね。震災前までは。
それがまあ変に知られてしまって。心配されるのはありがたいものの、どこか見世物にされてるような、複雑な気持ちでいます。いや、ありがたいですよ。
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海岸線に沿って走る国道45号線は通行止めになった箇所もあるけど、東北道に直結する三陸道は山あいを通っており、早期に復旧しました。おかげでぼくも、4月7日には高速バスと仙台発の臨時路線バスを乗り継いで石巻入りすることができました。
陸路の早期復旧に加えて、石巻がメディアに取り上げられやすかった(メディアが取材しやすかった)のは、次のような要因があるのではないかと思っています。
かなり旧市街よりの目線ですが、、、
ニュースのビジュアル的に分かりやすい被害を受けたことと、取材しやすい環境があったことがメディアに取り上げられやすかった要因ではないかと思います。
タレントさんの支援もありがたいけど、多くは旧市街地での展開でした。
そういう意味では最初から半島側を目的地にした杉良太郎さんはスゴイなぁ。
ということで「石巻が有名になってしまった理由」とは、比較的取材しやすいロケーションにニュース的な「ひき」が(たまたま)あったからだと思います。
書いててちょっとヤな気分になってしまいましたが、、、
と、ここまで書いて、このエントリーを書きたかった理由を。
今までほとんど知られていなかった小さな町が、急に多くの同情と興味の目を向けられて正直戸惑っているという印象があります。うちだけじゃないよ、と。
(個人的には、石巻を舞台にCM撮影したうちの会社に特にこう感じました…)
そして最後に、記者さんの真っ当過ぎる表明を。
一過的な報道で終わらせず、どうか伝え続けてください。お願いします。
それがまあ変に知られてしまって。心配されるのはありがたいものの、どこか見世物にされてるような、複雑な気持ちでいます。いや、ありがたいですよ。
仙台から石巻は、主要幹線道路を走れば1時間以内の距離だ。震災発生後も比較的入りやすいエリアであったため早くからマスコミに取り上げられ、メジャー被災地となった。記事では、石巻が「メジャー被災地」になった理由を交通の便に求めています。それは確かにありますね。
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海岸線に沿って走る国道45号線は通行止めになった箇所もあるけど、東北道に直結する三陸道は山あいを通っており、早期に復旧しました。おかげでぼくも、4月7日には高速バスと仙台発の臨時路線バスを乗り継いで石巻入りすることができました。
このような被災地は他にもある。たとえば釜石、陸前高田、気仙沼、南三陸、南相馬などは震災後に知名度が全国区になっている。こうしたメジャー化した被災地では、救助や支援の車両を通すために道路が整備され、移動ルートが確保されたためにスムーズな移動が可能となり、早くからボランティアや支援を受け入れる土壌ができ上がっていた。他の地区のことは分からないけど、やはり陸路が通じてるのは大きな要因ですね。
陸路の早期復旧に加えて、石巻がメディアに取り上げられやすかった(メディアが取材しやすかった)のは、次のような要因があるのではないかと思っています。
- 海に面した地区が、津波と火災で見た目にも甚大な被害を受けた
- 津波を免れた内地に早期にボランティア基地(&取材基地)が作られた
- 津波を免れた内地の日赤病院が稼働できていた(当然パンクしてたけど)
- 浸水はしたものの、市役所が健在だった(機能したかは別にして)
- 被害状況を一望できる安全なロケーションの存在(日和山)
かなり旧市街よりの目線ですが、、、
ニュースのビジュアル的に分かりやすい被害を受けたことと、取材しやすい環境があったことがメディアに取り上げられやすかった要因ではないかと思います。
そのため石巻市には、多くの芸能人たちが支援に訪れることができた。被害の大きな石巻に東京から日帰りで往復できるとなれば、現実的な選択肢となるのだろう。もちろん、何らかの形で復興を支援したいという芸能人たちの気持ちは本物であろうが、芸能人のスケジュールと被災地への移動時間を考えて妥協点となっていたことも否定できない。道路が徐々に復旧するにつれ、湊地区や牡鹿半島側にも取材が及び、市街地よりも深刻な状況が明らかになったことで取材が続き、ニュースとして露出し続けた、と。
タレントさんの支援もありがたいけど、多くは旧市街地での展開でした。
そういう意味では最初から半島側を目的地にした杉良太郎さんはスゴイなぁ。
ということで「石巻が有名になってしまった理由」とは、比較的取材しやすいロケーションにニュース的な「ひき」が(たまたま)あったからだと思います。
書いててちょっとヤな気分になってしまいましたが、、、
と、ここまで書いて、このエントリーを書きたかった理由を。
「石巻が注目されるのはありがたいことだと思っています。でも、せっかく来ていただくならもっとほかの町に行ってもらって、現状をもっと伝えてもらいたいです。こんな言い方をするのも図々しいけど、今は支援を受けないとすべてが回っていかないから」石巻で被災した方のコメントということですが、正にこれに尽きます。
今までほとんど知られていなかった小さな町が、急に多くの同情と興味の目を向けられて正直戸惑っているという印象があります。うちだけじゃないよ、と。
(個人的には、石巻を舞台にCM撮影したうちの会社に特にこう感じました…)
そして最後に、記者さんの真っ当過ぎる表明を。
この格差がマスコミにより作られた要素が多少でもあるのだとしたら、いま注目が集まっていないエリアを知らしめるのもマスコミの役割だろう。ジャーナリストの端くれとして活動している筆者としては、そう考えざるを得ない。問題提起すると同時に現状を伝え続けることにこそ、マスコミの役割がある。これは、多くの被災地の人々の願いでもある。そうなんです。どんなにTwitterやFacebookとかで状況を知った人がいたとしても、テレビや新聞、雑誌の報道はまだまだ圧倒的なんです。
一過的な報道で終わらせず、どうか伝え続けてください。お願いします。
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